弾く

津軽三味線、お習い5か月の感想

津軽三味線を習い始めてまる5か月が過ぎた。
三味線の持ち方、姿勢、右手、左手の動かし方などの基本動作の習得に、最初かなりの時間をあてた後、黒田節、ソーラン節、真室川音頭、津軽甚句と来て、今挑戦中の曲はりんご節。

平均すると1曲オーケーが出るまでのお習い回数は3回。3回目に次の曲が始まり、次の次にオーケーが出て、「じゃ、これをやってみようか」ということでその場が次の曲の1回目となる。

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今のところ順調に進んでいるが、これまでに習った曲を忘れないようにしながら新曲に挑戦するので、復習の曲もだんだん多くなる。これからが、大変になってくるだろう。

津軽三味線を名まで聞いたことがある人ならわかると思うが、この楽器の音の大きさは半端じゃない。棹が太く、太鼓部分も普通の長唄などの細棹の三味線よりずっと大きい。堅いバチで弦と太鼓をたたくのだが、とにかくすごい音がする。

先日、我が家にやってきた2人の友人を前に弾いてみたが、その友人たちはそのド迫力にビックリしていた(もちろん、腕前に対してではなく、音の大きさに対してである)。

近くテニス仲間と合宿に行く予定があるが、幹事から「三味線を夜の宴会の場で聞かせてください」とのお誘いがあったものの、この音のことがあるので、ギター、ウクレレ持参に切り替えてもらった。

一緒に習っている姉弟子のひとりは、近所からクレームがつき、室内の簡易防音工事までやったがやはり「静かにしてください」と周りから言われ、ついに、減音装置が付いた特殊な三味線を買う羽目になった。この三味線は、普通の大きな音も出せるが、減音してヘッドホーンで聞くこともできるものだ。

幸いにも、我が家の場合、高気密住宅のため外に漏れる音は小さいが、それでも、近所の人に会うと「へたくそな三味線の音が耳障りでしょう。すみませんね」と声をかける。町内の方は出来た皆さんばかりで「しばらく聞こえないと、どうしたのかナァ、と心配になりますよ」なんてうれしいことを言ってくださる。

そのうち、「窓を開けて弾いてください」と言われるよう、上手な弾き手になりたいものだ。

ウクレレ 初レッスン

きのうお茶の水でウクレレを買った友人たちが楽器を携えて遊びに来た。
言わば、初の合同練習。

左手の基本、右手のはじき方、姿勢、コードとは、ギターやピアノとの合奏など・・・時には真剣に、時には笑い転げて、初レッスンを楽しんでもらった。

CIMG1350.jpgウクレレは自分が知っている簡単な曲、たとえば「ふるさと」、「きらきら星」など3コードで弾ける曲をリズム通り、歌いながら弾く練習を繰り返すことで、あっという間に上達する。

逆に知らない歌、それもむずかしいコードがたくさん入っている曲に最初からチャレンジすると間違いなく挫折する。人間の頭は右手、左手、メロディー、歌詞それぞれに別の指令を出すことに、大きなストレスを感じる。だから、できるだけ簡単で知っている曲がいい。

簡単な曲でも「弾き語り」ができるようになると、俄然楽しくなり、自信もつく。こんなのも、あんなのもやってみたいとだんだんレパートリーが広がり、知っているコードの数がいつの間にかどんどん増え、弦をつま弾く右手の動きのバリエーションも広がる。こうなればしめたものだ。どこへでもウクレレを持っていきたくなる。

わずかな時間だったが、友人たちはその辺の上達のコツをしっかりと理解してくれたようだ。娘さんの結婚式のために一時帰国している友人も、ウクレレをさわるのがまったく初めてだったにもかかわらず、「真夜中のギター」が大好きなのでコードを教えてほしいとヤル気満々だった。

愉快に弾ければいい、楽しく歌えるとさらにいい。音楽のある生活は、暮らしを滑らかにし、リズム感を与えてくれる。それで友達の輪が広がればサイコー。Bさん、Tさん・・・、今度は「発表会」をやろうね。たとえ、聴衆がゼロ人でも。

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(写真:昼食はエリンギとアサリのスパゲッティ。サラダはシーザースサラダ風)

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お茶の水 楽器街のぶらつき方

娘さんの結婚式のためアメリカから一時帰国中の友人がウクレレを始めたいというので、さらにその友人でもあるテニス仲間と3人でお茶の水の楽器街に繰り出した。

楽器店には、右から仕入れてそのまま左へ小売りする店と、一台ごとに楽器の調整を施して売る店がある。

黒澤楽器系の1軒目の店ではペグ(糸巻き部分)のビスが緩んだままのウクレレを店頭に並べていたが、2軒目(アキオ楽器)ではペグそのものも信頼性のある部品に交換し、フレットの間隔、高さを自分のところで調整した商品を置いていた。
ペグが緩んでいると弾いているうちに音が下がってくる。フレットの間隔が狂っていると、当然音程にも狂いが生じる。フレットの高さが不均等だと、指に負担がかかり、痛くなるほか、弦が他のフレットにさわってビビリ音が発生したりする。

標準的な店とハワイアンに強い、どちらかと言うとマニアックな店を案内したところ、友人は後者の店をマニアックというより「初心者にもとても丁寧に応対してくれる安心な店」と評していた。購入したのもこのアキオ楽器

実はこの店はこれまでと合わせて3回目。脇道を入ったレストランの2階のその店は、歩いているだけでは気がつかない小さな看板の地味な店だ。アキオとはご主人(渡辺昭男さん)の名から来ている。

中に入るとハワイアンのバンド活動をやっているような先客がいつもいて、店のご主人ときわめて専門的な話をしている。だから、一見の客には目もくれないのだろうナァ、と勝手に思い込んでいたが、どうも違っていた。

きのうは先客もおらず、こちらから話しかけると、実に親切にあれこれとアドバイスをくれた。ここのご主人本人がウクレレやハワイアンが本当に好きで、これから始めたいという「新人さん」が目の前に現れると、心底うれしくなってくるのかもしれない。

楽器を愛する人は、目の前にその楽器を始めたいという人が現れるととてもうれしいものだ。とことん、イロハからアドバイスしたくなる。ここのご主人はそういう人のようだ。結果、売る方も買う方も満足する。

そんな店を探すのがお茶の水楽器街のぶらつき方のようである。できれば、その楽器を多少弾くことができる「先輩」に同行してもらうとなおいい。

ちなみに友人はハードケースに入れた新しいウクレレを大切そうに抱えながら、ウキウキとした表情で通りを歩き始めた。気分は「アロハ」である。

ウクレレやアコースティックギターを始めたいという方、いつでもご一緒しますよ。

23歳、はなわちえの津軽三味線を聴く

つくばエクスプレスの開業を機に沿線では「つくばスタイルフェスタ2005」なるイベントが毎休日に行われている。

11日、みらい平駅前のイベントテントで日立市出身の津軽三味線奏者はなわちえのコンサートが開かれたので出かけた。
30度を超える暑い日だったが、テントの中は用意された椅子がすべて埋まり、立ち見の客も・・・。

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はなわちえは、2000年に津軽三味線全国大会 A級女性部門で最年少(17歳)で優勝し、この春、東京芸大邦楽科を卒業した。若手の津軽三味線奏者の中では最も注目されている23歳。東京でのライブ活動をを中心に民謡だけでなくジャズやロックなどジャンルを広げて挑戦している。

COCQ-83721.jpgキーボード、ベース、パーカッションのバンドを従えての曲は、正直「何でこの曲を三味線で演奏しなければならないの」と思うばかりでさして感動もなかったが、原点に戻ってひとりで弾いた津軽じょんがら節や秋田荷方節などはさすが、とうならせる迫力。

それにしても、ミニスカートにへそ出しのタンクトップで立ったままの演奏。まるでエレキギターだ。怖いお師匠さんの前で、正座にしびれてヒーヒー言いながらお習いをしている身には、まるで違う楽器の世界のようにすら見えた。

ともあれ、60の手習いで始めたマイ・三味線・・・、20歳そこそこの彼女の腕前に少しでも近づくことができるのだろうか。甘い甘い。おそらく、近づいたら、彼女はその2、3倍のスピードでもっと離れていくのだろう。 お~い、待ってくれぃ、ウサギさん。待てないのなら、少し休んでくれぃ・・・。これじゃ、まるで亀さんの心境だ。
(写真右:はなわちえのファーストアルバム「月のうさぎ」)

初めての「津軽」の世界はなんと「どこのどいつ」

津軽三味線を習い始めてちょうど4か月、最初は座り方、三味線の構え方、バチの持ち方、左手の形などの基本をしばらく習った後、曲に入り「黒田節」(福岡県)、「ソーラン節」(北海道)とやってきて、昨晩、「真室川音頭」(山形県)3回目で一応の「合格」が師匠から出た。

師匠の言う「合格」は曲の手順を大体覚えた、という意味で、ひと様に聞かせられるレベルに達したということではない。覚えた手順にきちんとしたリズムと表現を加えるのは、あとは自分の努力と練習量ですよ、ということだ。曲の弾き方(メロディと左右の手の使い方)だけを教えて、大体覚えたら、次の曲に移る、というのが師匠のやり方のようだ。

「津軽」を習うために始めた三味線だが、福岡県、北海道、山形県と数か月の迂回を経て、ようやく夕べ「津軽甚句でもやっか(師匠の茨城弁)」となり、晴れて「津軽」の世界に一歩踏み出すことになった。さて、どうなることか。まずは、この民謡のメロディを覚えなくっちゃ。その前に、曲を好きにならなければ、ということで簡単に調べてみた。

津軽甚句(どだればち)

70050821.jpgそもそも「どだればち」とは、「津軽甚句」と言われる津軽の代表的な盆唄である。始まりは天保年とも言われるが、詳しくはわかっていない。明治時代から、大正・昭和にかけて津軽地方の町や村で踊られ、唄われたのがこの「どだればち」であり、盆踊りが盛んであった頃の、花形であった。「どだればち」というのは、「どこのどいつ」という意味で、この歌詞から歌い始められ、流行したためそのまま曲名となった。

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