福田さんと会ったのは13年ほど前、東京の下町のスナックだった。
近所の顔なじみがいつも集まるその店では、尊敬と親しみをこめてみんなが「福田先生」と呼んでいた。

書道家であり、画家、詩人でもある福田さんは、若いころはオペラ歌手もめざしたという。
歌うときは詩を大切にし、決して音符だけを追うような歌い方はしなかった。そのフォルテッシモからピアニッシモまでの表現力の豊かさには何度聞いても度肝を抜かれた。

そのスナックには小さなステージがあるが、その上から私に「N君、あんたも一緒に歌えじゃぁ」といつも招いてくれた。福田さんのプロはだしの歌い方はとてもまねできなかったが、それでも「N君、いいぞぉ」と手をたたいてくれた。ほめ上手だった。

制作工房で数人を使う社長だったが、小柄で口の周りにひげを蓄えた容貌は芸術家。新商品のロゴ制作を依頼したことがあるが、20枚近くもいろいろな文字を書いてくれて、「金? どうせ予算なんてないんじゃろう」となかなか請求書を書いてくれなくて困ったこともある。商売がうまいとは言えなかった。

二人で錦糸町の夜を歩いたとき、福田さんは寝ていたホームレスを軽くゆすり、黙って500円玉を汗と垢で黒ずんだ手に握らせた。その動きが実に自然だった。人を見るときの目にはいつも慈愛が満ちていた福田さん。

4、5年前に脳溢血で一度倒れたが、復帰した。特に後遺症も残らないといっていたが、周りのだれもが復帰を喜びながらも「福田先生、声量が落ちたね」と一抹の不安をひそひそと語り合ったものだ。

この春、定年退職した私の「送る会」のひとつに飛び込んできてくれたが、それが福田さんに会った最後となった。
その時、テーブルの上の紙ナプキンを広げ、次の一文を書いてくれた。

  美しい 刻(とき)は 
  寿命と 一緒に 流るる
  大切に
    
            悠海(号)
   N先生

       
興味を持つことは美しきこと。
そのやりたいことをせずに長生きだけをしますか。
それとも、チャレンジしますか。
寿命は、確実に流れていきますよ。

と語りかけてくれた福田さん。号の悠海(ゆかい)そのままに愉快に生きた福田さんが、きのう、逝った。享年70歳。 合掌