2005年05月

三浦半島めぐり(3) 「ライフワーク」

観音崎自然博物館に寄った。Fさんはこの施設の支援者にもなっている。わずか5人という研究員で海に関連したものだけではなく山、川、森などさまざまなテーマに取り組み、成果を展示していた。観音崎だから海の魚だけかと思ったら大違い。自然の中では川、森、海が、山が深くかかわっているのである。

CIMG0607.jpg副館長の石鍋さんは淡水魚「ミヤコタナゴ」研究の第一人者。二枚貝の中に卵を産み付けるという変わった魚だ。里山や、田んぼの用水路など、貝が住むところにいる。ヤドカリとは異なり、タナゴはメスが二枚貝のわずかに開いた隙間から卵管を挿し入れ、オスがすぐさま射精して受精させ、貝の中で孵化させる。しばらく貝の中で育った稚魚はやがて貝から外に出て行くが、こんな「種の保存」の習性を持つ魚は珍しい。miyako.jpg
成魚で約3センチというかわいらしい魚だが、絶滅の怖れがある韓国からはタナゴの繁殖方法を勉強しに石鍋さんのところにやってくるという。
立派な体格で人なつっこい石鍋さんの話を聞いたり、生き方を見ていると、「ライフワーク」ということばが真実味を帯びてくる。巨大なエンターテインメント水族館には比べようのない小さな博物館だったが、ぜひ、子どもたちには見てもらいたいスポットだ。 (入館料 大人400円、小人200円。写真はミヤコタナゴ。観音崎自然博物館のホームページから)

三浦半島めぐり(2) 「海軍、軍港、料亭」

CIMG0614.jpg山と谷が入り組む谷戸(やと)の地形が多い三浦半島はトンネルの多さでも知られる。くぐるとその先にはこれまでとはガラッと変わった風景と入り江がある。谷戸の地形には良港が多く、横須賀が軍港として栄えたひとつの理由になっている。

東西冷戦時代には中が見えないように米軍、自衛隊の基地はベールで隠されていたが、緊張が解けた今では基地の対岸が公園になっていて、運よく入港さえしていれば誰でも巨大な戦艦や潜水艦を見ることができる。

CIMG0593.jpg日露戦争で世界最強といわれたロシアのバルチック艦隊を破った戦艦「三笠」が保存されていた。ちょうど戦勝100年記念行事が行われていたので入ってみると、艦内は思ったよりも広い。作戦室に入ると、いすやテーブルが当時のままおいてあり、交わされたであろう激論が聞こえてきそうだ。(写真は戦艦「三笠」)

JR横須賀駅は「階段のない駅」として知られるが、その理由は「バリアフリー」ではなく、当時、海軍士官が腰にぶら下げるサーベル(剣)が階段にぶつからないようにスロープにした、ということだった。このことに触れた資料は意外に少ない。

CIMG0595.jpg創業120年を迎えた老舗の料亭「小松」は「海軍料亭」の異名を持つ。真っ昼間、いきなり飛び込んで中を見せてもらったが、ご案内いただいたFさんがこの小松と親しくおつきあいしているから可能だったこと。ありがたい。
創業者の山本コマツは1849年(嘉永2年)生まれで浦賀の割烹で修行したあと、1885年(明治18年、38歳)、横須賀に自分の料亭を開いた。以来、海軍とのかかわり深く、多くの軍人の面倒も見て来た。日清戦争(明治27年)、日露戦争(明治37年)も間近にみ、ロシアのバルチック艦隊を破って世界を驚かせた東郷平八郎とも親しかった。(写真は料亭「小松」正面)

太平洋戦争が開戦(昭和16年)した翌年、山本コマツは次第に強まる経済統制と挨拶に来る将校の態度を見、さらには日清、日露の戦争時と比べて「こんどの戦争は勝てないよ」と予言したという。その翌年には、しばしば小松を訪れていた山本五十六大将が南方前線で米軍機に撃墜されて戦死、以降、戦況はいっきに悪くなっていく。コマツ大女将は予言を確かめることなく、昭和18年(1943年)他界した。享年96歳。

今年亡くなった次の大女将 山本直枝も95歳と長寿。小松で鍛えられたらどこの嫁に出しても恥ずかしくない、といわれるほど仲居に対するしつけは厳しかったという。いきなり飛び込んだ我々に対する従業員のさりげない気配りは、「さすが」とうならせるものだった。

両脇を幅1間の廊下に挟まれた100畳敷きの大広間から数多くの小部屋まで、今も現役で使われている。いろいろな種類の竹を腰板や鴨居、上がり框、床柱などに使った部屋は「竹の間」。それぞれににさまざまな細工が施され、それが部屋の名前になっている。山本五十六が愛用した「紅葉の間」(通称「長官部屋」)は掘りごたつに乗せたテーブルをはさんで座椅子が8席。時々の大将、長官が重要CIMG0597.jpg談合を終わると手の平を打って芸妓を招き入れていたのであろう。

大広間の宴のときは、1間廊下にずらり芸妓衆が並んだという。上官や部下と顔を合わせずに部屋に直行できる離れもある。毎晩、小松で展開されたであろう談合、宴の余韻が年季の入った建物のそこかしこに染み付いている。将校たちの高ぶった声まで聞こえてきそうだ。(写真は料亭「小松」の離れ座敷。背後のマンションさえなければ、ねぇ)

三浦半島めぐり(1) 「ワールドクラスのオペラハウス」

29日の日曜日、三浦半島を駆け足でひとまわりしてきた。

会社時代、大変お世話になった横須賀の重要なお客様、B装 F社長さんがご案内してくださった。
Fさんは地域の振興にとても熱心な方で、さまざまな活動や施設の維持・発展に協賛したり、次の時代を担う少年・少女の育成に取り組んだり、これらに必要な人的ネットワークを海外にまで広げて構築したり、本業のかたわら、とにかく忙しい方である。今回回った先のほとんどはFさんが何らかの形でお手伝いやら支援・協賛やらをして関わっている。

京浜急行・横須賀中央駅を降りると、トランペットを口にしたジャズメンの金属製モニュメントが何体も迎えてくれる。ほっぺたとおまけに腹まで膨らませた表情がなんとも愛らしい。戦後ジャズの発祥の地は実は横須賀なのである。

94年(平成6年)、ジャズの殿堂だった米海軍下士官兵集会所(通称EMクラブ)の跡地が、よこすか芸術劇場に生まれ変わった。
中を案内してもらったが、日本最大級と言われるオペラハウス仕様の大ホールには、正直、度肝を抜かれた。外観はメタリック感を打ち出したモダンな仕上げだが、1820人収容の大ホールの内部は落ち着いたブラウン色調の中央のシートの周りを高さ4層の馬てい形の客席が囲む。4階建てのバルコニーにぐるりと囲まれた吹き抜けの中庭の趣だ。本舞台と同じ広さの舞台が左右にあり、コンピュータで幕の入れ替えをコントロールする。世界一流のオペラハウスに匹敵するホールだ。とにかくすごい!
gekijyo_yokosuka.jpg
午後おこなわれる合唱と管楽器の組曲「横須賀」演奏会のリハーサルが行われていたが、音の響きもすばらしい。案内していただいた方によれば、ここで演奏する人は、例外なく「拍手のシャワーが上から降ってくる」と感じるそうだ。 (写真:舞台から客席を見る)

津軽三味線、ウクレレ、ギター、ピアノ・・・、何一つ客を呼べるほどの腕前は持ち合わせていないが、「お金を払ってでも」この舞台で「無観客試合」をしてみたぁ~い!

ブログ 1か月

ブログを始めて1か月になる。

組織人間のときは、自分の時間といっても、時間の大枠をコントロールしているのは会社であったり、同僚であったり、お客さんであったり、上司であったりで、自分は決められた予定に乗っかることが多かった。退職すると、今度は時間をすべて自分でコントロールしなければならない。組織人間がいきなりフリーの立場に立つときの一番の恐怖は、実は「時間の使い方を自分で決める」ということではないのか。「あんたの時間」なんて誰も関心ないし、ましてやコントロールなんぞしてくれないのだ。

ブログを始めたのは次の3つのねらいからだ。
①記録(日記)代わりにできそう。そのうち、「朝何を食べたっけ?」となるかもしれない。
②毎日の生活の中で何かを発見しようという気持ちを持ち続けるための仕掛けに。書くことは取材すること、取材は発見することだ。
③手や頭を使うのでおそらく「老化防止」にいいだろう。津軽三味線、ウクレレ、ピアノなどと同じ。
④友人、知人、親戚向けの「私は生きてますよ」というメッセージを送る消息情報誌 (就職情報誌ではない) として、など。

実際、1か月やってみて一番よかったのは、②意識して物事をいろいろな面から観察しようとするようになったことだ。散歩していても、花木や川などの自然の変化、買い物に行けば、店内の人の数や動き、商品の面白さ、イベントや旅に行けば目的地への行き帰りの道も興味津々となる。テレビを見ていればニュース番組から料理番組まで、「う~ん、これはいい」と思えることを探すようになった。

egonoki2.jpg夕食のときのカミさんのひとこと「あそこの高橋さんのところの玄関脇にある小さな花をつけた木、エゴの木というのだって。すごい名前だけど、どういう字なのか・・・見るととってもかわいい花だけど」。これだけ聞けば、翌日にはそのお宅の玄関に木を見に行く。確かにかわいらしいので、帰ってネットで調べてみると、「エゴノキ」という名前の木で5月から6月にかけて可憐な花をつける、ということがわかった。万事、こんな観察、取材の日々になりつつある。 (写真はエゴノキ)

④番目の「消息情報誌」の役目は十分果たしてくれている。ずいぶんと多くの人からメールやコメントが届くようになり、大いに勇気付けられている。
①記録になるかどうかは、今後の継続(意思)いかんにかかっている。③老化防止に役立っているかどうかも、もう少し時間をかけて確認しなければならないだろう。
 
「ブログ未経験の方は始めてみませんか」、これが1か月間の結論。なかなかのすぐれものだ、ブログは。

ゆずポン酢の2度おいしい話

酢はカルシウムの吸収を4倍に増やすと言う。
普通の味付けだと含有カルシウムの30%しか採れないそうだから、サンマやイワシの煮付けに梅干を入れる昔からの調理法にも理由(わけ)が。シラスを酢醤油で食べるのも骨を丈夫にするための先人の知恵なのだろう。

夕べ、ポン酢味のパスタににチャレンジしてみた。TBS「はなまるマーケット」で紹介していた一般主婦の料理のひとつ。名づけて「ポンスパ」。
  
◆ポン酢スパゲティ(ポンスパ)img20050525.gif 
<材料> 3人前
スパゲティ・・・250g
バター・・・ひとかけら
ポン酢・・・大さじ2杯半
しらす干し・・・ふたつまみ
大葉・・・5枚
  *あれば昆布茶少々、たくわん少々。
  (写真ははなまるマーケットから)

普通にゆでたスパゲッティをバターを溶かしたフライパンに入れ、ポン酢をまぶしてよく混ぜてお皿に盛ったら、シラスを散らし、みじん切りに切った大葉とたくわんを乗せて出来上がり。

パスタ定番のニンニク、オリーブオイル、塩、コショウが登場しないごくシンプルな和風味のパスタだが、これが実にうまい。酸味がさわやかで、意外に効いているのがシソの香り、シラスの薄い塩味のうまみ、そしてバターの風味。カミさんの評価も上々だ。

ポン酢といえば我が家で愛用しているのが馬路村の「ポン酢しょうゆ ゆずの村」。数年前、友人からこの村の農協の奮戦記を借りて読んでからずっとこの「ポン酢しょうゆ ゆずの村」のお世話になっている。

面積の96%を山林で占められている高知県馬路村は林業主体の過疎の村で、人口は1200人。ゆずは昔から採れたが、高齢化の中で手入れが行き届かず、形の悪いゆずが増えては捨てられて赤字を増やしていた。
農協の東谷課長(現・代表専務理事)がこのゆずを何かに活用できないか、とジュースやポン酢などいろいろな加工品の試作を提案し、商品化して販売したところ、それが大当たり。
今では、ゆず加工品の売り上げは年間約30億円。農協の年間予算の方が村の予算を上回るようになったという。

このポン酢、味もとびきりいいのだが、村をまるごと「ブランド化」した農協の一課長のマーケティングセンスの良さには驚く。今回は、この販売戦略の話は省くが、ぜひ、商売を考える人は、下の本を読んでほしい。モノを売る極意が書かれている。

  「ごっくん馬路村の村おこし」 大歳昌彦・著
  (日本経済新聞社 1575円。古本ならアマゾンで550円から)
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